<2008年の人命救助>
1995年の3月20日に『地下鉄サリン事件』が起きました。
いつも京葉線に乗り、八丁堀駅で日比谷線に乗り換えて
秋葉原まで通勤する私の妻も
あわや、あの惨事の犠牲になるところでした。
たまたま京葉線の車内で気分が悪くなって
少し手前の新浦安駅ホームで
しばらく休んでいたため、被害に遇わずにすみました。
そういう訳でしたので
2008年3月19日の深夜
早稲田大学からの帰り道・・・
地下鉄日比谷線の築地駅まで行き
事務室の中に用意された祭壇にお参りしました。
そして、八丁堀駅の京葉線ホームで電車を待っていたところ
10m程先で、電車を待っていた男性(55才)が
突然、仰向けにバタンと倒れました。
3月20日午前0時04分でした。
そばにいた女性がマウス・ツー・マウス用のフィルター
(マウスシール)をバッグから取り出し、男性の口に乗せました。
「どうしました?」
と肩を叩いて意識の有無を確認し始めたので
これは緊急事態と判断し、飛んで行きました。
脈を診たところ、ありませんでした。
瞳孔も散大していました。
「私は保健師です」というその女性が心臓マッサージを始めたので
「心臓マッサージは私がしますので、人工呼吸をお願いします。」
と伝え、すぐに私が得意の心臓マッサージを行ないました。
すると別の40才くらいの男性が
上手に人工呼吸をやってくれました。
保健師の彼女は、手際よく
119番通報とAEDを持ってくるよう
周りの2人に指差し、依頼しました。
心肺蘇生法を開始してから
わずか1分経つか、経たない内に
男性の目のあたりに表情が出たので
心肺蘇生法を中止して、脈と呼吸を確認すると
かすかに弱いながらも心臓が動き出し
自発呼吸も始まりました。
少しして意識も回復しました。
みるみるうちに鼓動が
強く、しっかり打ち出しました。
間もなく、そこへ救急隊が到着し
男性は聖路加病院へと搬送されました。
1秒を争って心肺蘇生法を開始すれば
早ければ早いほど蘇生確率が高いことは分かっていましたが
心臓が止まっていたにも関わらず
あんなに速やかに蘇生させることが出来て、驚きました。
女性は、T・Fさんという警察庁に勤務する保健師さんで
1週間ほど前、日赤で久しぶりに
心肺蘇生法の再講習を受けて来たばかりだったそうです。
もう一人の人工呼吸をした男性は
名も告げず、いつの間にか帰宅されましたが
しっかり救命法の技術を持った3名が
偶然に居合わせたことも、とっても不思議なことです。
もしかすると、地下鉄サリン事件で犠牲になられた方々の御霊が
あの場所へ私たち3名を呼び寄せたのかも知れません。