2012.01.31 Tuesday
千葉市の歴史(3)
享保の大飢饉を経験したのち
八代将軍・徳川吉宗が
サツマイモの栽培を関東に広めようと考え
青木昆陽を起用しました。
1734年、昆陽は
薩摩藩からサツマイモの苗を取り寄せ
江戸の小石川、下総の馬加村(幕張)
上総の国豊海(不動堂村)で
試作を始め・・成功!
翌年から千葉市とその周辺でも
本格的に栽培されるようになりました。
江戸から運ばれた生ゴミ利用による
格段に良い土壌なので
さぞかし
生産性も高かったことと思います。
その当時
検見川村は
房総への街道筋の宿場町として栄え
隣の馬加村に比べると
大変な賑わいだったようです。
そして商品経済の発達により
年貢を除く農産物は
直接
江戸の商人や問屋と取引ができて
検見川湊から五大力船に積み込まれ
江戸へと出荷されていました。
佐倉藩の公式湊が
寒川湊と登戸湊であるにも関わらず
佐倉藩領だった勝田村の農産物も
花見川を利用して
検見川湊から出荷されていました。
江戸八百夜町と千葉市を結ぶ海運が
人々の生活を支える柱の1つだったのですね。
この海のルートを
ふだんヨットで行き来して
潮の流れや季節毎の風を知っている私には
当時の帆掛け船で
いったい
どんな風に帆走したのだろう
と
ワクワクした気持ちで
想像しています。
(つづく)
参考:古井野 学 著「船頭が語る幕張の昔ばなし」
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