千葉市の歴史(20)


明治2年
大名の藩籍は奉還され
新政府は外国船や国内蒸気船に対して
江戸湾内の各所に
船舶航行用の灯台を設置しました。


明治3年の初頭には
東京〜横浜間に
早くも電信が開通しました。

公衆電報の取扱いも開始され
商取引の迅速化に大きく貢献しました。


9月には平民に
名字の使用が許されました。


この頃になると
東京では
武家に代わって
新しい人口の流入が活発になりました。

横浜もまた
飛躍的に膨張しました。


相互の物流規模の拡大は
輸送を受けもつ船にとって
まさに追い風

船を走らせれば走らせるだけ
どんどん
稼ぎが増えました。



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グローバル競争に克つ ものづくり戦略

目黒雅叙園で行なわれた
ものづくりフォーラム2012
「グローバル競争に克つ ものづくり戦略」
(主催:日経ものづくり)

得るものが大きい講演会でした。

基調講演は
野村総研の上級コンサルタント
沓掛 毅氏による
「閉塞感を打破する!日本の製造業の戦略ギアチェンジ」
というテーマでした。




特別講演
「アジアの成長と共に歩む我が国製造業の方向性」
〜我が国イノベーション・システムの再構築に向けて〜

東京大学大学院経済学研究科
ものづくり経営研究センター 特任研究員
小川紘一氏












莫大な研究開発費を使って
多くの特許を持っていて
優れた技術力を持つ日本が

知財マネジメントがビジネスモデルとなった
新たな産業構造の転換により
一気に競争力を失っていることを知りました。

日本企業が
グローバルなビジネス・エコシステムを前提にした
ものづくりシステムに転換する必要性を痛感しました。

研究開発の段階から
先手必勝の位置取りを設計し
巧妙なビジネスモデルを創る方向に
製造業は
大きく舵を切らなければならないし

同時に国がそれに向けた経済政策や
制度設計を行なうことが不可欠であると思います。



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マンション管理組合の監査


だいぶ前ですが
よく次のようなことが話題になった時代がありました。

"マネジメントを「管理」と訳すことは適切でなく
それによって
真のマネジメントをする機会が失われてしまう"


今でも
例えば、公共のプールで
「あれもダメ、これもしちゃいけない!」
とガチガチの場内規則でプールを管理しています。

学校経営などでも
よく同様の光景が見られますね。


マネジメントという言葉を提唱した
オーストリアの経済学者 ピーター・ドラッカーは
「マネジメントをその役割によって定義しなければならない」
として、役割を3つ挙げています。

第1は
組織に特有の使命・目的を果たすこと。

第2は
仕事を通じて働く人たちをいかすこと。

第3は
社会の問題に貢献すること。

つまり
「組織の人たちをイキイキとさせ
高度な成果を上げることがマネジメントである」
と言っています。


昨夜19時から

会計担当理事、監査役の役員
管理会社/東急コミュニティーの担当者
そして理事長である私の4名が出席して

3月に行う総会を前に
マンション管理組合の事業監査と
会計監査を行なってもらいました。




「マンションは管理で買え!」

とよく言われますが
付加価値をつけるために
様々な工夫と努力を行なって来ました。

それについて
高い評価をしてもらうことが出来ました。

また
無駄な経費を削減して
有効なところには、きちんとお金を使う戦略

さらに
将来に向けて
安心な財務状況を創り出している実績も
きちんと評価していただくことが出来ました。

例えば、一般会計の
当期剰余金は、5,832,145円

これまでの剰余金合計が
22,614,648円となりましたので
10,000,000円を
特別積立金会計(長期修繕計画に備えるためのお金)に
繰り入れることにしました。

先般、第1回目の大規模修繕工事を済ませたわけですが
今期の特別積立金会計の残高は
約2億4千700万円あります。

※ここへ来期1000万円を繰り入れます。
加えて、新年度から
各戸から徴収する修繕積立金額を値上げしましたので
今後
特別積立金会計は
さらに充実したものとなります。


ちなみに
私が理事長となった5年前の一般会計剰余金合計は
約1千700万円で
当時も1000万円を特別積立金会計に繰り入れましたが
今回は約2千260万円の中から
1000万円を繰り入れるわけです。

※5年間で1500万円以上貯めたことになります。

将来に向けて
余裕のある財務内容となります。


マンション管理組合という名称ですが
私たち管理組合が行なうことは「管理」ではなく

マネジメント=「経営」である
と考えています。




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霧雨の修善寺


今日は伊豆修善寺にある
日本サイクルスポーツセンター5kmサーキットで
「東京都ウインターシリーズロードレース第2戦」を開催しました。




女子クラスで優勝したのは
Ready Go JAPAN
伊藤杏菜さん16歳

そのReady Go JAPANの監督
須藤大輔さんもクラスCで第2位
共に表彰台に立ちました。
          ↓


ほとんどが高校生選手というジュニアクラスで優勝したのは
今伸び盛りの橋詰 丈くん(15歳)

チームメイトの渡辺 歩くん(13歳)との
EQADS 中学生コンビが
ワン・ツーフィニッシュを決めました。


実は
2010年12月26日にTCF普及委員会が開催した
「TCFフレンドリーロードレース&ジュニアレーシングスクール」に
このお二人が参加しました。

その時に特別講師をお願いしたのが
Equipe Asada 監督の浅田 顕さんでした。

その後、浅田さんは
Equipe Asada のジュニア育成チーム
EQADSを創設
世界へ羽ばたく本格的なロード選手を育成されています。

また
「TCFフレンドリーロードレース&レーシングスクール」では
Ready Go JAPANのトライアウトを
お子さん達に見学してもらい
レーシングチームに入る仕組みを知ってもらいました。

昨年
橋詰 丈くんと渡辺 歩くんが
EQADS のトライアウトに挑戦して
現在に至っていることを考えると

私たち普及委員会の企画も
「けっこう的を得ていたのではないか!」
と感じています。


そして
クラスAを制したのは
東大自転車部の安井雅彦さんでした。

"文武両道"

東京大学恐るべし!


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就活セミナー


大学生の就職内定率が
71.9パーセント

短大が
47.9%となりました。


このような時代の中
変化に対応できる能力を磨いていただき
次世代を担う優れた人材(人財)を
育成しいたいと考えています。


そういう今
『千葉から日本を元気にする社長1000人創出プロジェクト』
では
大学生のために
就活セミナーを開催しました。



私も『会社選びの極意』というテーマで
講演とワークショップを担当させていただきました。





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充実した一日


今朝は
千葉市立高洲第三小学校で
学校評議員会が行なわれました。

初めに「学校評価アンケート結果」について説明を受け
私を含め
各学校評議員から前向きな提案が行なわれました。

続いて学校長から
平成24年度の学校経営方針(案)が示されました。
これについても質問や意見が述べられました。


その後
まぢかに迫った卒業式を前に
「6年生を送る会」が開催されました。


歌有り、演奏あり
劇あり、お笑いあり・・
6年生への感謝が込められた
とても素晴らしいパフォーマンスが披露されました。


午後には
浜松町にある都立産業貿易センターで
東京都中小企業振興公社が主催する講演会
「中小企業 生き残りの鉄則」
〜この時代に取組まなければならないこと〜
を聴講しました。


東京都中小企業振興公社主催の講演会は
いつも充実した内容であり
とても得るものが大きい講演会です。


夕方、夢の島マリーナに置いてある車を取りに行ったところ
新木場駅のホーム上で
美しい夕陽と出会いました。



そして夜は
「スイムランド・スイミングスクール」で
小中学生の生徒
ひとり1人が持っている
それぞれの可能性を
引き出すための仕事をしました。

今日も充実した1日となりました。


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千葉市の歴史(19)


明治元年11月のある日

横浜から馬加村(まくわりむら)に帰って
伝次と藤七の太鼓親爺との間で
こんなやり取りが交わされました。


「今けった(帰った)よ、親爺さん」

「こんだ(今度)は長かったんなぁ」

「初めは、芋(薩摩芋)積んで、神田(市場)へ行ったよねぇ」

「そうだっけんなぁ」

「そしたらねぇ、そこの問屋に頼まれて
青物積んで、その足で横浜へ乗っ掛けたたら
そこで又
次ぐの日、東京へ荷頼まれて
船に泊まって横浜から東京へ引っ返しただよ。
こんでひとまず
こっちさ帰れんべと思ったら
急な荷だからととって(と言って)
又、横浜だょ」

「いい日並みん続いたもんなぁ」

「横浜で船泊りしてたら
朝、起き抜けに
鉄砲州へ行ってくれだ。
どんな荷だろが、頼まれる荷だねぇ
こんな有り難てこったねんべよ(ないだろ)
そしたら
こんだ(今度は)
鉄砲州じゃ、明日荷んあっから
そのまま居てくれっち訳で
又、船で寝たよぉ。
翌日はちっと(少し)風んあったけんども
横浜へ早々と突っ掛けたよ。
米なんかと違って、目一杯積むわけじゃねぇから
ちっとぐれな(少しくらいな)風じゃ
平気の平左だょ」

「全く目ん廻るよだんなぁ」

「横浜へ行けば、行ったで
又頼まれて東京へと引っ返ぇす。
荷はいくらでもあんだよね。
行ったり来たりで、切りんねぇから
ひとまず
帰って来たっち訳だよ

と言いながら伝次は
伝票や現金の入った巾着袋を
太鼓親爺の前に差し出しました。


「やぁ、ご苦労だったなぁ。
にしん(汝の)こんだから(ことだから)
しんぺはしなかったけんど(心配はしなかったけれど)
そんにしても(それにしても)
長かったんなぁ」

親爺は
袋の中身を覗いて
稼ぎの多さにビックリしていました。

「親爺さん
これからは東京〜横浜往復の方が
稼ぎんなんよ。
何に船で寝泊まりできんだから
何回往復したって構うめよ。
東京の問屋なんかにゃ
親爺さんから手廻してもらって
横浜の方は
行き来してるうちに
問屋や回漕店も段々と懇意になっていくべよ」

「そっかぁ
そんじゃ東京の問屋筋からも
横浜の方へ頼んでもらうべや。
もっとも
横浜の方は、にしん(おまえの)裁量で
やって差し支えねぇからなぁ。
これからも、そうしろよ」

                            (つづく)
            参考:古井野 学 著「船頭が語る幕張の昔ばなし


ちばスマートワークセンター

 
「千葉スマートワーク推進フォーラム」に行きました。
2月23日にオープンする社会実験施設
『ちばスマートワークセンター』
をベースに
これからの新しい働き方=テレワークについて考える
パネルディスカッションが行なわれました。


テレワークとは
ICT(情報通信技術)を活用して
"場所や時間にとらわれない柔軟な働き方"のことです。




女性が働きやすい社会環境を創るためにも
災害に強いビジネス環境を創るためにも
あるいは
地域の活性化を図る上でも

少子高齢社会で労働力不足が懸念される中
眠っている労働力を活用するためにも

とっても
大切なことについて
ディスカッションが行なわれ、有意義なフォーラムでした。


終了後には
稲毛海岸駅前にオープンする
『ちばスマートワークセンター』を見学しました。




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千葉市の歴史(18)

江戸の人口が激減して
産物や物資が動いてくれなくなると
困るのは
商人であり、問屋であり、生産農民です。

それに対応するためか
新政府は、慶応4年(明治元年)8月に
江戸市中の和船による運送業者に対して
江戸ー横浜間の物資輸送に携わることを許可しました。


すると、すぐに
横浜運送問屋と呼ばれる17名の廻船業者が
江戸ー横浜間の航路に進出したそうです。


また9月までは
江戸から横浜に運ぶ物資は江戸の業者が
横浜から江戸に運ぶ物資は横浜の業者が取り扱っていましたが
これでは復路が空船になってしまうため
両者が協議して
どちらの荷物も運べるよう
話合いが進められ、見積り合わせが行なわれて
往復の輸送が可能になりました。


当時の横浜での輸出入をみると

輸入の主なものは
綿織物、毛織物、砂糖などの直接消費物資と
綿糸、錫、亜鉛、鉄などの工業用資材でした。

輸出の主なものは
生糸、銅、油、茶、豆、昆布、木材、干魚などでした。

中でも生糸は
横浜からの海外へ輸出する中心商品であり
国内各地で生産された生糸が
どんどん横浜へと船で運ばれました。

これこそが
伝次が活躍する源でした。

鎖を解かれた猟犬のように
伝次は
東京湾を吹く風と共に
時代の波に乗ったのです。

                            (つづく)
            参考:古井野 学 著「船頭が語る幕張の昔ばなし
JUGEMテーマ:癒しとやすらぎの自然・風景 

千葉市の歴史(17)


二十歳の逞しい青年に成長した伝次

芸は身を助けるという言葉がありますが
打瀬船で培った操船技術を駆使して
陸に上がることなく
五大力船の船上にあり続けたことが
伝次の運命を陽転させました。

維新後
統一国家の経済下で

あらゆる物資輸送の動脈として
船の果たした役割は
益々重く

その需要も
益々増加し続けました。


伝次は正しく
時代の波に乗ったのです。

開国進取の余波が
明治国家の富国強兵策の波頭に伝搬し

五大力船の舳先は
時代を切り開きながら

明治という風を満帆に受けて
走り続けました。

                            (つづく)
            参考:古井野 学 著「船頭が語る幕張の昔ばなし」


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